どうして服を裏返しに着ていても自分では気づけないのでしょうか。
どうも、きじょうゆです。
人は失敗する生き物である。誰の言葉かはわかりませんが、よく耳にします。
ええ、その通りです。失敗します。
しかも、単純なミスをしてしまいます。
僕のよくある失敗の中に服を裏返しに着てしまうことがあります。
誰しも子供の頃には経験があると思います。
家の中で家族に注意されるのはまだマシです。
外で友達なんかに注意されてしまえば、もう赤面は確実です。
なんとかごまかしながら着なおしたことがあるでしょう。
それも、上の服ならばまだマシです。ズボンならどうでしょう。
簡単に着直すことができない。
小学生とかならまだいいのかもしれませんが、それでも高学年になると恥ずかしくなるはずです。
こういうことを周りに話すと、「ズボンなんて間違えないだろ〜」なんてことを言われますが、ジャージとかスエットなら大いにありえるのです。
僕は何回も犯してしまっているのだから。
ジャージの紐がお尻からぶら下がっているところを子供に笑われたらものすごく恥ずかしいのです。
しかも、そういう時は大抵親御さんもクスクス笑ってらっしゃるのです。
耐えれますか。僕は耐えられません。
しかし、人は失敗する生き物なのです。
滅多に起きないことでも、ほんの油断で起こってしまうのです。
服を裏返しに着る。これの難しいところは自分では案外気づかないところだと僕は思っています。
自分で気が付いたのは2割ぐらいでしょうか。
それぐらい自分では気がつかないのです。
表と裏がはっきりしないものなんて強敵です。
無地のTシャツなんて怖いですね。先ほどあげたジャージやスエットなんかも裏表がはっきりしない。もはやラスボスの域ですね。どうして柄は側面だけが多いのだろうかとつくづく思います。
さらにそれらにはたまにポケットがないなんてものも存在します。
そんなもの中のタグを見なければわからないじゃないですか。きっと裏ボスなんでしょう。本当に強敵揃いです。
いや、本当の強敵はタグも切れて、首元がヨレヨレになってしまったTシャツなのかもしれません。それはもう裏も表もないのかもしれませんね。
僕は今日、今まで集めた強敵たちを処分しようと思ってます。ボスラッシュ攻略です。
皆さんのタンスの中にもきっと強敵が眠っています。
春になる前に、僕と同じく攻略してみてはいかがでしょうか。
お風呂で歌を歌いますか?
どうも、きじょうゆです。
僕はお風呂で歌を歌ってしまうタイプです。
控えめどころの話ではなく、結構熱唱してしまうタイプなのです。
お風呂って結構響きますよね。音の逃げ場がないというイメージがあります。
唯一外と通じているのが換気扇でしょうか。
そんなところで熱唱してしまうと、当然に外に僕の歌が響き渡るのです。
これが、一軒家とかならまだマシなのかもしれません。
問題はアパートやマンションなどの集合住宅でしょう。
相当敷居の高いマンションでなければ、防音なんてたかがしれてます。
僕が今住んでいるマンションも外の音が当然聞こえてきます。
外の音が聞こえてくるということは、もちろん中の音も外に聞こえてしまうわけです。
お風呂場なんて一番外に音が漏れてしまう場所の一つではないでしょうか。
よく夜に街中を歩いていても、陽気に鼻歌を歌いながらシャンプーをしているおじさんの声が聞こえてくるでしょう?
これは僕が体験した話なのですが、その日も気分良くお風呂で熱唱していたわけです。
次の日、玄関前でお隣のお夫人とお会いしました。
ちょこっと世間話をした最後に、「よくお風呂で熱唱してますよね。」と言われてしまいました。
誰でもこう言われてしまうと恥ずかしくなってしまうはずです。
もちろん、僕も恥ずかしくなりました。それとともに、遠回しにうるさいと言われているという罪悪感が僕の身を襲いましたね。
ああ、もう歌わないでおこう。その時はそう決心するのです。
でも、どうしてですかね。お風呂に入ると無意識のうちに歌っているんですよね。
何かお風呂に仕掛けでもあるんでしょうか。本当に不思議です。
ちなみにお隣のご夫婦は、その日から一週間後に引っ越してしまいました。
天ぷらはご飯と合わないと思うんだ。
どうも、きじょうゆです。
昔から「このおかずはご飯とは合わないだろ」と思うことがあった。
その代表的なおかずが天ぷらだと思っている。
そもそも、揚げ物自体がご飯に合うとは考えていない。
まだ許せるのは唐揚げぐらいだ。
天丼なんてものがあるけれど、あれは本当に美味しいと思って食べているのか。
僕は注文したことがないし、どこかの家にお呼ばれして、天丼が出てきても気持ちでは食べたくない。
せめて、別皿に移してと思う。
あれは天ぷらとご飯が相性がいいのではなく、ご飯とタレが相性がいいのではないだろうか。
天ぷらとご飯の相性の悪さをタレでごまかしている。そんな気がしてならない。
それと同じでコロッケやとんかつ。
この二つもこれも天丼と同じだ。
コロッケととんかつがご飯と合うのではない。
コロッケととんかつにかけるソースがご飯と相性がいいのだ。
牛丼の牛肉がご飯と合うのではない。
牛肉に絡められているタレがご飯と合うのだ。
焼肉の肉がご飯と合うのではない。
肉につけるタレがご飯とベストマッチなのだ。
揚げ物はこれらと同じだ。
まだマシだと思える唐揚げだって、下味があるからこそ、まだマシに感じるのだ。
小麦に卵、衣をつけてあげただけの天ぷらがご飯に合うはずがない。
さつまいもの天ぷらが1番の鬼門だ。
ほとんど炭水化物ではないか。口がパサパサしてそれがご飯に合うなんて考えられない。
タレがなければ、ご飯うんぬんの話ではなくそもそもパサパサしすぎて食べれたものではない。
みんな目を冷ますんだ。
冷静になってよく考えてみようよ。
絶対に合うはずなんてないのだから。
可愛い女の子の写真を保存してしまう
どうも、きじょうゆです。
ネットを触っていると、必ず好みの女の子に出会う。
出会ったことがない人なんていないのではないだろうか。
SNSや、ふと出る広告。三次元から二次元。
ネットは写真に溢れている。
そんな時、僕はついその写真を保存してしまう。
僕の写真フォルダは女の子の写真で一杯だ。
きっとみんなやっているだろう。
自分のタイプを聞かれた際に、こういった子がタイプとすぐ出せるし、疲れている時に眺めて癒しにだってなるだろう。
変態的なものではなく、保存してしまうことは自分をよく知るいい機会でもあると僕は思っている。
数年前に保存した写真を今眺めると、前よりも可愛いと思わないことがある。
それは僕のタイプが知らず知らずに変わっているということだ。
何十何百枚もの写真を比べれば、タイプを細分化できる。
一重二重だけでなく、目の位置から矢幅、角度といった細かいタイプだってきっとわかるだろう。
そして、色々な子を見て、今まで苦手だったタイプでもその良さに気づくのではないだろうか。
僕のフォルダは動物と可愛い女の子で埋まっている。
これは完全に癒しのためのフォルダだ。
僕の秘蔵のフォルダともいう。
思春期の男の子がムフフなフォルダを隠すように、僕の秘蔵フォルダも名前をごまかしていたりする。
ただ、長年の積み重ねから容量を圧迫しているのも事実。
そろそろ、引退時期かもしれない。
しかし、後継者を見つけるまではまだ引退はできない。
同士よ。一緒に可愛い女の子を開拓していこうではないか。
美肌になりたい
どうも、きじょうゆです。
肌が汚ければ損をする機会が多い。
初対面で一番初めに顔を見るだろうし、その時にいきなりマイナスイメージを持たれてしまう。
僕も肌が汚い人の一人である。
ニキビもなかなかできなくなってきたが、それでも昔のニキビ後も多い。
ニキビ後は結構目立ってしまう。
昔、出来たニキビを潰しに潰しまくった。
今ではボコボコで毛穴が広がってしまっている。
思春期の時期はおでこに大量にニキビができ、治ったと思えば今度は頬に。
その後、顎へと映った。
綺麗に顔全体を征服していくニキビ達。
そんなニキビたちを僕は指で撃退していく。
潰してはいけないと思ってはいるものの、どうしても気になって潰してしまう。
痛いけれど、潰れた時の快感は癖になってしまう気持ちよさがある。
最近では少しいい化粧水や乳液を購入してみた。
効果はいまいちわからない。
こういったものは今すぐに効果をということが期待できない。
僕が欲しているのは速攻に美肌になるものだ。
明日デートなのに、ニキビができてしまったとか。
明日までに直したいと思ってしまって仕方ないだろう。
そんな時に、こういう時はあれだと思えるものがほしい。
初対面の人にはさすがに肌が汚いなんて言えないけれど、ある程度仲良くなってから初対面の時そう思っていたと言われ続けた。
そこから肌が少しよくなると、綺麗になってきたと言われる。
人に実感されることが嬉しい反面、なんだか虚しい。
綺麗になってきたではなく、綺麗だと言われたいのだ。
綺麗になってきても汚いものは汚い。そういうことなのだ。
昨日、僕の頬に一つニキビができた。
今度はかなり大きい。きっと魔王だ。
今までがこいつの手下だったのかと思えるほど大きいし痛い。
魔王との戦いは数時間続いた。
今、僕の頬には魔王との戦いの後遺症がまだ残っている。
また古傷を作ってしまった。
我を倒してもまた第二の魔王が〜
そんな言葉が聞こえた気がした。
気持ちよく起きたい。
どうも、きじょうゆです。
僕は寝起きが極端に悪い。
それも年々なくなってはいるが、それでも朝は不機嫌になったりする。
昔ならばよく怒鳴り散らしていた。
わざわざ起こしてもらっているのに、怒鳴り呆れられ放置され、結局遅刻なんてこともある。
この時体を起こしているのだから起きているはずだ。
なのに、僕には怒鳴ってしまった記憶がない。
そもそも、起こされた記憶すらない。
どういったことでこれは起きているのか。
体が僕の意思とは関係ないところで動いているのか。
または、起きているけれど、二度寝した際に全て忘れてしまっているのか。
専門家でもなんでもないからわからない。
でも、こういった人は結構いるのだろう。
起こされて怒るということはもうほぼほぼなくなった。
でも、記憶がないことには変わらない。
起こされてから後5分的ななにかを言ってるみたいだが、そんな記憶なんてない。
なので、怒鳴りはしないが二度寝から自然に起きて「なんで起こしてくれないの?」と聞いたりもする。
決まって言われるのが「起こしたよ」という言葉。
一番聞き覚えのないその言葉に僕は半信半疑になりながら外出の準備をする。
記憶があったならば、自分のせいで話が終わるのだ。
ないから責めてしまう。ないから自分を信じれる。ないから厄介。
そもそも、自分で起きてしまえばいい話だが、アラームを止めた記憶もない。
起きる時間の3時間前から10分おきにアラームをつけている。
それでも、全て止めた記憶がない。でも、どれもちゃんと止まっているのだ。
昔は誰かがうるさくて止めたのだろうと考えていたが、一人暮らしでは誰も止めることはできない。
僕しかいないのだから。
僕以外の誰かなんて考えたくもないし、そんな非科学的なものは存在しないと僕は思っている。怖いし。
色々な方法を試してきた。
ベットの頭上に目覚ましを置いて、反対向きで寝てみたりした。
結果は起きたらちゃんとした向きで寝ていた。記憶はなし。
今度は歩かなければいけない位置に目覚ましを置いた。
起きたら目覚ましはベットの上にあった。記憶なし。
めちゃくちゃうるさい目覚ましを買ってみた。
人生初の隣からの壁ドンを食らう。記憶あり。
ソファーで寝てみた。
起きた時間はいつもの時間だった。腰が痛い。
アラームを止めるのに計算問題が必要なアプリを使ってみた。
諦めたのだろう。いつもの時間に起き、アラームはずっと鳴り響いていた。
結果、惨敗。
どの結果も何かしらの問題を抱えている。
僕の睡眠時間はアラームをつけないと10時間余裕で寝てしまう。
子供かと言いたくなる思いだ。
明日はあれをやりたいこれをやりたいというのがあまり叶わない。
相談しても、それは意思の問題だよと言われるだけ。
わかってくれ。意思も何も記憶がない時点で何も考えていないのだ。
意思もへったくれもない。
また今日も新たな方法を試す。
ブログのネタよりも、起きる方法を探しているかもしれない。
寝ないなんてそんな若いことできる体でもなくなってきた。
とにかく眠い。
今日はイヤホンをつけて寝てみよう。
周りにも迷惑をかけないし、きっとうるさすぎて飛び起きてしまうだろう。
寝ている間にイヤホンが取れなければの話だが。
同棲の現実を伝えたい。
どうも、きじょうゆです。
結婚する前に不安だから同棲する。
同棲を開始してから、やっぱり何か違うなと感じ別れてしまう。
こういったカップルは多いのだろう。
僕の同棲生活の始まりは彼女からの「ずっと一緒に居たい」という一言から始まった。
その時僕が感じたのは、なんて可愛らしい事を言ってくるんだという気持ちだけで、二つ返事で賛成した。
不安なんてものは何も考えていなかった。付き合い始めて3ヶ月、大学生の時だ。
大学は県外だし一人暮らしも考えていた時期なので、お金がないにも関わらず、物件を探し回った。
それから1ヶ月後に物件を決め、彼女と一緒に移り住む。
家賃、光熱費、食費全て折半にしよう。
二人とも学生なので、それがお互いが一番納得できる決まりだと思っていた。
最初の頃はとても楽しい。家具選びから模様替えまで二人で相談しながら買いに行く。
ご飯は彼女任せだったので、洗い物や洗濯はこちらが行う。
気持ちが幸せなだけに、家事をやることは別に苦ではなかった。
そんな幸せな時間も半年ぐらいで消え去ってしまう。
段々と細かいところが目についていき、些細なことで喧嘩が始まってしまう。
一緒の家だから時間を開けることができずに、ずっとギクシャクしてしまう。
謝って仲直りしても、また別の問題が発生していく。
そんな繰り替えだった。
頑張っていいところを見つけようにも、嫌なところが邪魔をする。
ウチの家ではこうやってた。人の家の決まりをお互いが持ち出し、譲り合わなかった。
今ならば、新しくウチの家の決まりを作るべきだったのだと、お互いが譲り合う気持ちで許しあっていればなと思うが、それも過去の話。
元々料理などしたことがなかった彼女は段々と作らなくなっていった。
僕も僕で家事をしなくなっていた。
洗い物、洗濯物は溜まり、部屋はゴミだらけになった。
脱ぎ散らかした服が溜まり、床も踏めなくなった。
まだお金を折半していたことが救いだったのか、金銭面のトラブルは起きなかった。
これが折半していなかったと考えたら身の毛がよだつ。
そんな状態が続き、会話もろくにしない日々が続いた。
会話をしないことで喧嘩も沈静化していった。
その時期から、お互いがお互いもいないも同然と捉え、自分の分の家事をする事になる。
部屋は綺麗になったけれど、同棲している意味もなくなった。
実家に帰るにも、お互いになかなか帰れない事情があって帰ることもできなかった。
別れるにも学生でお金もない。新しい家を借りるにも到底借りるための貯金はなかった。
このままではダメだとお互い思ったのだろう。
少しづつ会話を増やし、溝を埋める努力をしてみた。
彼女が洗い物をしている横で一緒に洗い物を始めたり、食事を用意してみたり。
しかし、ずっと放置していた溝は僕が思っていたよりも深かったのだ。
それが続くと、元々恋人のような関係ではなかったのに、今度は主人と使用人のような関係になってきた。
帰ってきたら飲み物を用意し、お風呂上がりにはマッサージをする。
学校の課題をやってから、彼女の分もしたり。
遂には救いだった金銭面の折半もなくなっていた。
その時には、僕はお互い楽しくやってるならばこういった関係でもいいかと思っていたし、苦でもなかった。
その関係が1年続き、同棲を開始してから約2年がたった頃、ある一言を言われた。
何でもやって、YESマンな人嫌いなんだ、と。
おい、ふざけるな。とその時の僕は思った。
それ以来僕は口をきかなくなった。
僕はその時、一時期失っていた彼女への思いが再燃していた時期でもあったので、その一言には言葉を失ってしまった。
必死に考え、ならもう家事はやらない方がいいのか。いや、やらなかったらまた前に戻るだけだ。ならどうすればいい。
結局何もわからない僕は口をきかない以外、何も変わることなくYESマンであり続けた。
それからすぐ彼女は週一のペースで帰宅してくるようになる。
帰ってくるたびに僕は心の中で「いや、バイトかっ」とツッコンだ。
まだ気持ちのあった僕には週一でも嬉しく感じた。
そこから段々と帰宅は2週間に一度、1月に一度となっていく。
遂には帰ってこなくなった。
僕の同棲生活はこれで幕を閉じるのである。
そこから次の恋人を見つけるまでなかなかの期間が空いてしまう。
その恋をすぐに幕を閉じるわけだが。
同棲生活は始めが一番楽しい。
これはきっと間違っていない。
ワクワクとドキドキが一乱れ、まるで緊張のしない入学式気分だ。
そこからは気持ちとの勝負。
どれだけ相手を思いやれるか。それだけ相手を尊重できるか。
それだけで同棲生活は苦になってしまう。
これは僕が経験した同棲生活である。
もちろん、全員が同棲で同じ思いをした訳ではないので、それはわかってほしい。
きっと楽しい同棲生活もあるのだ。
僕の周りで同棲している人の話を聞けば、みんな幸せそうだ。
素晴らしい人なんだなといつも尊敬する。
今後、もし同棲、結婚する機会があるのならば、僕も楽しい共同生活を送りたい。