きじょうゆくんは退屈から脱却したい

変哲もない日常を綴ってます

段々と涙腺が緩くなってきた話

どうも、きじょうゆです。

僕は大人になって泣くことなんてほぼないと思っていた。

小学校を卒業してから泣く事は段々と少なくなっていたし、きっと泣いたとしてもそれは悲しくて泣いているのではなく、きっと嬉し泣きなんだろうなと思っていた。

 

でも、実際は嬉しくて泣く事なんて殆どない。

僕がそんな嬉しいことがないのかもしれないけれど、悲しくて泣く事の方が多い。

 

そう思うとなんて悲しい人生を送ってるんだと自分で思ってしまう。

今にも泣きそうだ。

 

その他にも感動して泣くってこともあるだろう。

最近はドラマやアニメですぐ泣いてしまう。

感動の再開シーン、悲しい別れのシーンなど1つのドラマで何回も泣く事が多い。

 

僕は自分でも感情が顔に出ないタイプだと思っているし、周りにもそう言われる事が多いけども、どうもここ最近何かと感情が顔に出てしまう。

負の感情も顔に出てしまうから、人と喋っていて嫌だなと思ってしまうと顔が歪んでしまう。

お前わかりやすいなと言われることが増えた。

 

それでもスーッと涙が落ちる程度だ。

子供みたいに大声で大泣きするなんてことはしない。

 

でも、一度だけ大声を出しながら大泣きしたことがある。

アルコールが入ってる訳でもなく、その時付き合っていた子の前で大泣きした。

それが何で泣いていたのか僕もその子も覚えていなかったりする。

たまに会った時に、何であの時泣いてたんだろうと話し合い笑っている。

でも、物凄く悲しかったことだけは覚えているのだ。

 

できれば僕は泣きたくないのだ。

子供が泣き疲れて眠ってしまうように泣く事は非常に疲れる。

ラブストーリーの物語は好きだけど、大体そういったストーリーは1場面は泣いてしまうポイントがある。

 

それに前の記事の共感性羞恥を読んでもらえばわかるのだが、僕は告白シーンなどは見れない。

物語中に泣いて疲れて、泣いていると内容がたまに入ってこないことがある。

そして終盤の一番いいところは見れない。

好きだけれど、何を見ているのだろうと思ってしまう。

だから、できるだけ見ないようにしてるが、感動したいけど泣きたくないという気持ちもあってつい見てしまう。

 

僕は涙腺をコントロールしたい。

泣きたい時に泣き、感動しても涙は出ないような。

 

 

そんな事よりも文章の能力を上げろって話なのだが。

5年間続いた手荒れが完治した話

どうも、きじょうゆです。

手荒れをしている方はどれ程いるのだろうか。

主婦業や仕事で長時間手を酷使し、濡れたり乾いたりする人は手が荒れてしまうことが多いだろうが、そういうのと無縁の人の手が荒れることはなかなか少ないのではないだろうか。

 

まず僕は乾燥肌だである。重度ほどではないが、春夏秋冬関わらず程よく乾燥している。

それに、昔アトピーだったこともあり、肌が弱い。関節付近や汗が溜まる箇所は冬になると荒れてきてしまう。

一応そう言った箇所は専用の薬があるので、悪化もせず、長期間継続することも少ない。

 

厄介なのは手だ。手荒れが始まって初めにこの薬を手に塗りたくった。

これが効果が皆無。他は効くのに何故手だけ効かないんだと当時の僕は悩んだ。

 

その後、病院で手荒れ用の薬を貰った。しかし、これもまた効果なし。

悩んだ結果、塗っても衣服に擦れて薬が取れてしまっていることに気が付いた。

僕は手に塗っていたつもりが、知らない内に周りのものに塗りたくっていただけなのだ。

僕の手はただただ薬と衣服の中間ポイントでしかなかったのである。

 

最終的に僕が実践したのは、薬を塗ってからその上に絆創膏をぐるぐる巻きにすること。これは包帯でもなんでもいいだろう。

 

これが効果てき面。日に日に巻き直す度に治っていく自分の手が愛おしくて堪らない。

 

 

しかし、手荒れの恐ろしさはここからではないだろうか。

折角治ってきたところに、ムズムズとした感覚。

無性に手が痒い。これが我慢出来るほどの痒みだったならば、僕の手は一週間で完治していただろう。

 

この痒みは我慢が出来るほどの安いものではない。

掻きむしらないと痒みが止まらない。

でも、掻きむしってしまったらまた手荒れが酷くなる。

 

辛いことにこの痒み、優しく掻く事で治る程度の痒みでなく、酷く強く掻きむしらないと満足できない程の痒みなのだ。

するとどうだ、初めより症状が悪化してしまう。

ちょっと乾燥してガサガサしている程度だったものが、あかぎれを起こし、血が出てきても尚、掻きむしってしまう。止められるものではない。

 

そして治療を再開し、治ってきたなという所でまた痒みの再来。

その無限ループが手荒れの真の怖さではないだろうか。

 

 

しかし、その無限ループから僕は遂に脱出に成功した。

どうしたのか一言で言うと荒治療の他ならない。

 

薬を塗り包帯でぐるぐる巻きにし、手が痒くなってしまったら痒い箇所を思い切りどこかに叩きつける。これを痒みが消えるまで繰り返すだけである。

 

皮膚の形が多少歪に回復してしまったが、これもまた時間をかければ治る事だろう。

これは人間の回復力に期待したい。

 

きっとこれからまた再発してしまう可能性もあるが、僕はこの方法はもう使わないだろう。だって、痛いし。

ブログの名前を変えてみた。

どうも、きじょうゆです。

 唐突にブログの名前を変えてみた。

理由は気持ちの切り替えと言ったところか。

 

月に2記事投稿すればいいこの状況をなんとか切り抜けたいという思い。

こんな事で僕のサボり癖が解消されるとは思わないが、なんとか自分を信じ奮い立たせてみようと思っている。

 

何気に自分の名前も変えてみた。

前の名前はなんとなくフルネームがいいなぁと思って、たまたま買い物に見た店員さんの名前を組み合わせて作ったものだ。

もっとしっかり名前を考えておくべきだったなと後悔していたので、これを機に変更。

今回の名前は、変えようと考えていた時にたまたま買いに行っていた生醤油である。

 

ええ、全くもって進歩していない。

己の後悔はスーパーから自宅までの間に消え去るんか、ワレェ!と変更しながら思った。

 

いや、でも、案外気に入っているからオッケーという次第である。

 

変更してなんだか気持ちがしゃきっとした気がする。

気のせいかもしれないが。

まぁ、それは明日投稿するかしないかでわかることである。

明日投稿して、次がもしかすると1ヶ月なんてこともあるかもしれないが、ないことを信じよう。

 

自分で言うのもなんだが、僕は本当に適当に生きていると思う。

多分、そんなものも文に現れているのだろうけど、自分のことをまるで人ごとであるかのように済まそうとしている。

 

すぐに気持ちに流されるし。

今だって、仕事でミスして怒られて気持ちが沈んでいる。

もう書きたくない気持ちである。

 

ああ、ここで600文字だ。キリがいいしここで終わろう。

何のキリが良いのだろうか。疑問である。

 

だが、全て変更したのだ。

気持ちも変えないといけない。

 

明日の僕、頑張って。

動画配信サービスの沼にはまる

どうも、きじょうゆです。

約1ヶ月ぶりの投稿である。

一瞬で今年の抱負を破るとは自分でもびっくりした。

やっぱり自分のペースが一番。

 

 

この1ヶ月、私はHuluを全て見尽くす勢いで見ていた。

動画配信サービスはよくできていて、見たくても対応していない作品も存在する。

しかし、見たい作品は他の動画配信サービスでは見れるときた。

 

なら、どうするのか。他のサービスにも加入してしまう。

その後はその連鎖。

あれ見たい→ない→他のところにある→葛藤→加入→あれも見たい・・・・

 

しかも、初月無料という素晴らしいサービスまでしているときた。

僕も最初はこのサービスに目を奪われて加入してしまった。

1ヶ月たったら退会したらいいと思いながら加入してみれば、これがまたお世話になるなる。

1ヶ月たった後でも、まだ見たいものがあることを理由に継続。

見たいものがなくなった後でも、次のドラマ、アニメも配信されるかもしれないと思い継続。

 

見事な無限ループ。まるで逃げ場のない要塞のようだ。

今では私は、Hulu・Netflix・U−NEXT・Amazonプライムビデオに加入している。

たった1ヶ月でだ。一つ一つがいくら1月500円〜1500円ぐらいの間だと言っても、これだけ入れば高くつく。

 

たが、一つ一つは素晴らしい。それぞれがどれかのジャンルに特化していて、あれを見るならこれだなとか。

沼にははまっているが、後悔はしていない。

 

僕はもう逃げられない。

この沼は僕にとって、アスファルトの上よりも快適な場所である。

次のブログの更新は今見てるアニメをすべて見終わってからだろう。

それも見てる間に見たいものが見つからなかった場合の話だが。

 

 

次はdTVかな・・・。

今年の抱負的な何か。

どうも、きじょうゆです。

 

年越しは何をしていただろうか。

僕は熟睡中だった。

 

起きた時にはもう朝で、少し後悔した。

カウントダウンしたい気持ちもあるし、誰かに年越し前に起こしてというのだが、その人は完全に年越しというイベントに舞い上がり、僕のことなんて忘れている。

 

2019年は出来るだけ存在感のある人になりたいと願う。

思えば去年2018年は、僕の生活は色々と変わった。

同棲中の彼女と別れ、一人暮らしになったり、、、

まぁ、それぐらいしか変わっていないのだが。

 

後は、ブログを始めたことだろうか。

9月14日に初投稿をし、新年を迎えたった14記事。

ええ、笑えない。不甲斐なさすぎるぜ。

 

3ヶ月の間、己は何をしていたんじゃって話や。

僕は始めた頃は、1日1記事を豪語していたのだ。

でも、実際はどうだ。1週間の1記事の間違いである。

 

今年はどうかもっと頑張って頂きたいですね。

目標は勿論1日1記事だが、そんなの僕には無理だ。

書くことがなさすぎる。なので、僕は現実的な目標を立てることにした。

 

3日に1記事!

 

それが今年の僕の目標だ。

3日あれば何か書けるだろうと思いはしたが、今まで1週間かかっていたと考えると、僕がこの目標を継続できた時は相当成長している。

 

なので、暖かい目で見守ってほしい。

 

 

次に、Twitterだろうか。

いや、書くことがなさすぎるっっっっっっ!!!

毎日同じ生活を送っている僕にはTwitterは難易度は高い。

変化のない生活。

 

『今日は〇〇をしましたー。

楽しかったのでオススメです☆』

 

何が面白んじゃいっっ!

誰が見るねんて。

 

そういうことで、今年は頑張ってTwitterもするから見てね☆

twitter.com

 

 

3つ目の抱負は・・・・んー、体重減らそうかな・・・・

乾燥肌過ぎて、眉毛がなくなってきてる話

どうも、きじょうゆです。

急に寒くなりすぎだ。部屋の中でも常に厚着をし、暖房をつけて体を震わせながら暮らしている。

天気予報でもまだ僕の所は、6℃とかそんなものだ。

これでこんなに寒いのは風が強いのか、それともただ単に僕が寒さに弱くなったのか。

東北だとかに住んでいる人たちからしてみれば、これぐらいまだ暖かいのだろうか。

もうすでに雪も積もっているらしいしね。

 

この季節になると、僕の肌は異常に乾燥する。所謂、乾燥肌というやつだ。

部屋の中は出来るだけ加湿器をつけて保湿しているが、外に出るともうどうしようもない。

少し散歩に出たぐらいで肌がカッサカサになり、どうしようもない痒さに見舞われる。

 

僕の場合、特にひどいのが眉毛付近である。

髪で刺激され、他の箇所よりひどく乾燥する。

掻いたらいけないとは思いつつ、我慢できないから掻いてしまう。

出来るだけ我慢しても、夜寝ている時など無意識の内に掻いてしまっているのだろう。

朝起きた時には、フケのようなものが枕を白く染めている。

 

こうずっと掻いていると、眉毛が段々と抜け落ちていく。

今、僕の眉毛は完全に左右非対称。

右は痒くないので健在だが、左の端から徐々に眉毛がなくなっていている。

 

僕は子供の頃、アトピー持ちだった。特にひどかったのが眉毛だ。

眉毛全体が痒く、子供だから何も考えずに掻きむしっていた。

小学5年生あたりで僕の眉毛は全てなくなった。

中学に入り、つり目で眉毛がない僕のあだ名はヤンキーになっていた。

 

そう呼ばれるのがどうしようもなく嫌だった僕は、なんとか眉毛を生やそうと。

掻くのを耐え、増毛をするときのように櫛でトントンと毛穴を刺激したりもした。

 

それから3年で奇跡は起きた。

今まで全く生えなかった眉毛が復活しだしたのだ。

それからすぐに眉毛は完全に元通り。

いや、完全に前より剛毛になっていた。伸びるスピードが異常に早く、1週間も放置すれば、左右の眉毛は完全にくっついてしまう。

いうなら、完全に両さん

間はないのか。なくなるか、異常に生えるか。極端すぎやしないだろうか。

 

そんな少年期を送った僕に、毎冬は試練を叩きつけてくる。

「さぁ、今年も掻くのを我慢してみなさい」と言わんばかり。

 

この課題の厄介なところは、掻いて抜け落ちてしまうと来年そこの眉毛が生えてこないということだ。

神は何故このような試練を僕に与えたのか。

 

また僕は来年に期待する。両さんでもなく、ヤンキーみたいな眉なしでもなく、

左右対称の綺麗な綺麗な眉毛を求めて。

 

聞き返されることに嫌気がさす。

どうも、きじょうゆです。

僕は声がとても小さい。1日の内に聞き返されることがない日はないぐらい小さい。

小学生の頃はさほど小さくなかったのだが、思春期を迎えた中学生から急に声が小さくなった。

ただ単に、周りを気にしすぎて、自信がないのだろうと。大人になっていく内に段々と大きなっていくだろうと考えていた。

気づけば、僕もいい大人だ。しかし、毎日毎日「え、何?」と聞かれる毎日。

 

非常に不愉快だ。不愉快なのだ。僕は普通に喋っているんだ。何故1回で聞き取れない!?

 

ええ、すいません。大きな声で話せってんですよね。

何回も直そうと思ったさ。でも、長年この声量でやってきているんだ。

なかなか治るもんじゃない。

 

この声量が僕にとっての1番のコンプレックスである。

でも、こんなコンプレックスにも一度は感謝したことがある。

 

僕が高校生の頃、僕と同じく物凄く声が小さい子がいた。

その子にシンパシー的な何かを感じ、人見知りながら声をかけ、友達になれたことだ。

 

今では、その子は普通に喋っているのだけれど。

どうやって直したかを聞いても、自然ととしか答えない。

そんなのありなのか・・・

 

僕は自信がない訳ではない。

人前にだって出れない訳ではない。しかし、声が小さい。

 

1番腹が立ったのはあれだろうか。

友達とカラオケに行った際に、僕の時だけマイクの音量が上がっていた。

え、そこまで小さい!?マイクでも小さい!?

僕だって抗議したさ。それは失礼なんじゃないかなと。

まるで僕をあざ笑うかのように友達はいったのだ。

 

ならちゃんと歌ってと

 

歌っとるわあああああああああああああああ!!!!!

精一杯!声を張り上げて!歌っとんのじゃああああああああああ!!!!!!

こっちは声量あげようと必死に頑張ってるつもりなんじゃ

もう僕をいじめないで・・・・

 

今日の僕はお風呂で潜って酸欠になりながらも肺活量を増やすため努力しているし、

ちょっと走ってみたり、ボイストレーニングの動画を参考にしながら見様見真似で頑張っているんだ。

 

どうか、声を大きくする方法を誰か教えてください・・・